2012年記載
かつて廃墟と言われた島「軍艦島」といわれましたが石炭から石油燃料に切り替わる時代を先読みし
組合が島民を早く新しい職業に就かせ仕事がなくならないように、という事情がありました。
その結果、閉山となり誰もいなくなったわけです。
しかしここにはかつて5000人以上の人々が暮らし、
彼らはいつか「故郷(ふるさと)」に戻りたい。
という思いをずっと抱いてきました。
「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳さんをはじめたくさんの人々の尽力により
「軍艦島ツアー」が可能となりました。
それはここで暮らしていた人たちの戻りたい、もう一度足を踏み入れてみたい、
この遺産を「ここで何があったのか」「何をしていたのか」「自分たちの今の生活の礎であったこと」
それを後世に伝えなければならない。という想いも込められている。
故に軍艦島は「廃墟」ではない。
「産業遺産」である。
いま九州では廃墟だったものがその価値を見直され「産業遺産」「国の重要文化財指定」となるものが増えてきています。
志免炭鉱も然り。
志免立坑櫓を活かす住民の会会長の古庄さんは言いました。
「我々は先人が残してくれた「宝」を磨き地域の誇りにするため保存・活用するために戦ってきました。
そして国の重要文化財に指定されました。
貴重な「建造物」としての指定です。」
放置されたから廃墟ではなく、その建物を愛してやまない人たちはたくさんいます。
それを安易に「廃墟」と呼び捨てるのはいかがなものか。
日本にもまだたくさんの「産業遺産」が眠っており、その価値を認めてもらおう、指定してもらおうという動きが増えてきた。
これからは見た目だけで「廃墟」というのではなく、「産業遺産」「重要文化財」という歴史をもつ建造物との境界線を
しっかり持たなければならない。
地域から「宝」と思われている物を何も知らないよそ者から「廃墟」なんていわれたらどれだけ気分が悪いか考え直して欲しい。
-------ここまで。
去年数時間だけ上陸できた軍艦島
去年の時は数年先にまた来るだろう、なんて考えていたがもう来ちゃった
去年は台風の大直撃な年だった
今年は高島と長崎市が合併し、軍艦島上陸の監視がさらに厳しくなり取締りも行われるようになった
さらに北九州で震度6弱の大地震
その存在はますます危ぶまれている
だからこそまた軍艦島に行きたくなった
まずは30号棟を目指す
ここは軍艦島を本土からみたら一番左側に位置する高層住宅
この光景をみたとき自分の目を疑った
ここでまだ生活していたころを見たような気がしたからだ
夕暮れ時の部屋に電気がつくそのくらいの時間帯
耳をすませてしばし周囲の音に聞き入るが
風だけがこの建物を通り過ぎるだけだった
この写真を撮ったのは自分が最初ではないか?とおもうくらいのタイミング写真だった
朝日のおかげでこの光景がみれた
わずかな時間だけ当時の風景がよみがえる
幻想的だ
たくさんの人が上り下りした階段
一歩一歩踏みしめながら上る
半分くらい上った
身を乗り出して見下ろす
「回」という構造の高層住宅なのだが、見事な造りだ
最上階まで上ってきた
屋上からは朝日に照らされた灯台が間近にみえた
軍艦島2